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2012年6月24日日曜日

フクシマの子どもたちの真実

福島県福島市から現在、兵庫県宝塚市へ避難しているママからの貴重なコメントです。第三者機関による証明が出来ないため、TVでは放送されない当事者の声をお聞きください。英語版はコチラ English version → http://bit.ly/LJ0gdv

ご本人よりの許可を得て転載いたします。

<ご注意>
シェア数が増えてきたので様々なご感想が寄せられるようになってきました。
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* * *

私が福島にいる頃、子供たちが『ぼくたちどうせ死ぬんでしょ!?』などという台詞は日常的でした
初めは言葉に詰まっていた大人もだんだん
『そう、だから死なないように避難するんだよ』
という説得の言葉になりました。

暑い夏も窓を閉め、長袖にマスクで授業を受けなければならない子供たち
体育も外遊びも一切禁止!
学校の校庭が使われないから背丈ほどの草が生えていました。
子供たちが土や草木を触ろうとすると親はヒステリックに怒り、側溝の上も歩かせないように気をつけました。

カ゛イカ゛ーカウンター(放射能測定機)を買い、計ってみると驚くほどの数値が家の中でもあり、みんな窓際から子供ベッドを部屋の真ん中に移し、食事にも神経を使い、家の屋根や壁は高圧洗浄機で除染をし、通学路の土を削り、せめてもと週末は他県に避難をし、そこまでしても、鼻血を出す子が続出し、下痢、頭痛が止まらない子がたくさんいました。

娘の友達が何人も白血病の初期症状と診断され、甲状腺の異常が見つかった子もたくさんいました。

母親たちはいてもたってもいられず避難しようとしますが、家庭や職場などで意見の食い違いが起こりあちこちで揉め事が絶えなくなりました。

うちも避難はしたものの、震災後10ヶ月間もいてしまったので娘がいつどうなるかわかりません
娘は一生その不安を抱えて生きていかなければなりません。

一番危険な10ヶ月、避難できず福島にいてしまった親としての罪、無理矢理引き離して子供から全てを奪ってしまった親の罪。何が正しかったのか全くわからず、どちらにしても子供には申し訳ないという思いだけです。

報道も福島の現実はタフ゛ーとされ一切伝えられません。 他県でも福島は閉じ込めておいて自分たちにふりかからなければいいという考えなのでしょうか?また、今だに『大袈裟な』と思ってる方も多いのでしょう。

原発再稼動などして、もし何かあったらどうするのでしょうか?
自分たちの所は起きないと思っているのですかね?
日本の中でこんなことが起こっているのに、なぜ日本人は目を覚まさないのか不思議でなりません。

大飯原発
何かあったら神戸あたり風向きによってはかなり酷くなる可能性がある距離です。しかも避難区域にならないから一番悲惨でしょう。なぜ皆さん焦らず平和でいるのか不思議でなりません。

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